東日本大震災後を経験して  浪江町から青葉区へ

 東日本大震災・原発事故から3年が過ぎ、日本政府は原発再稼働に向けて大きく舵を切りました。原発事故後、浪江町から数度の引っ越しの後、縁あって青葉区でラブラドールと暮らしておられる伊藤まりさんにパワポイント共に震災と原発事故後のお話を伺いました。
 はじめに事故前の元気で明るく笑顔あふれる浪江町の皆さまの映像はとても印象的でした。事故後、住民は原発事故の状況や避難情報が入らず、結果的に線量の大きい場所に避難した事が後になって解り、ご主人は鼻血が止まらず、まりさんも咳が止まらなかったそうです。ご主人は現在も体調を崩されています。残されたペットの話には参加者全員が涙しました。現在、町はネズミ、猪豚と雑草が幅を利かせ、鳴り物入りの除染作業は東京の大手が儲かる仕組みで地元の業者にはほとんど回ってきません。そんな中被災者は嫌がらせ、いわれのない中傷などで肩身の狭い生活をされています。伊藤さんは仕事で地元に帰る日もあるそうですが青葉区では「We21」のボランティア活動中。今回フィリッピンへのスタディツアーに参加され、ごみ山で暮らす子供たちと接した事や被災した経験の中から決して上から目線ではなく、支援する人と支援される人は対等であることを改めて強く感じたそうです。苦しく辛い経験を淡々と話された伊藤さんの強さと優しさに心ひかれた集まりだったが、震災後時間は経過していくが何も解決しないできない日本は本当に住みにくいと感じるのは私だけではないと思う。             松原ノリ子